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鹿肉燻製葡萄と赤ワインのソースでとasianpopのリダ34

category - 訳してみた
2017/ 11/ 23
                 
きれいな鹿肉300gがゲットできたので燻製しました。赤ワインとブドウのソースでいただきました。フルーツの甘みがお肉にあいますゥ。鹿肉は癖がなくて食べやすくておいしいです。

鹿肉はお酒と生姜汁、こしょうを振りかけて10分ほど置きます。お湯50CCに味覇小さじ1砂糖小さじ1みりん小さじ1を溶かして冷めてから肉を漬けます。ジップロックに入れると少ないたれでおいしく漬かるの。2~3日そのまま冷蔵庫に置いておいて、その後、キッチンペーパーを広げたトレイの上に鹿肉を広げて冷蔵庫の中で2日ほど乾燥させます。タコ糸で肉を縛って燻製鍋に入れます。

今回はめんつゆに一晩つけたあと、一日乾燥させた ゆで卵も一緒に燻製しました。今回はリンゴとクルミのチップを混ぜました。
70度の庫内にして30分燻製した時点で卵は取りだします。その後鹿肉をひっくり返して、更に30分燻製させて出来上がり。
再びジップロックに入れて一晩冷蔵庫に入れて肉を落ち着かせます。
ソースは赤ワイン50CCと巨砲10粒。巨砲は皮のまますり鉢でつぶしてワインと一緒に鍋で煮ます。その後ペーパーで濾します。
赤くてきれいなソース出来上がり。鹿肉の燻製を切り分けてお野菜とともに添え、ソースをかけたら出来上がり。
自然な甘みがあって、おいしかった。

さて、奈都が走り回ってる間、毎夜の日課。キムヒョンジュンさんが丸ごと一冊載ってるインドネシアのasianpopを日本語にするのが日課です。リダ、こと、キムヒョンジュンさんの生い立ちは4ページにもわたる記事で読み応えあります。
幼いころより賢い子で、ご両親も誇りに思っておられたと読んで、ファンとしてもうれしいです。
今日は10歳から。
ギターを弾くリダ
20171111133559285.jpg

Saat tes penempatan sekolah SMP,Hyun Joong remaja terdaftar sebagai siswa dengan hasil tertinggi keempat di seluruh sekolah. Dan ketika di tahunketiga SMP、Hyun Joong mengumumkan kepada keluarganya bahwa dia ingin menjadi artis.  Keinginannya ini dipacu oleh gitar pemberian ayahnya. Sejak dibelikan gitar ,hyunjoong mulai menikmati dirinya belajar dan bermain gitar. Dia sangat berbakat, sesuatu yang seharusnya dipelajari dalam 3 tahun, dia bisa menguasainya hanya dalam 3 bulan,puji guru gitar Hyun Joong . Melihat bakatnya tersebut, guru gitar HyunJoong menyarankan kepada orang tuanya untuk menyekolahkan HyunJoong ke sekolah musik,  namunsang ayah langusung menentangnya.
中学の入学試験ではヒョンジュンは4番という好成績で入学しました。中学3年生の時ヒョンジュンは歌手になりたいと発表した。彼はギターにのめりこんでいきました。ヒョンジュンギターを買って以来、ギターに夢中になりました。「ヒョンジュンギターの際の王があって、普通の人が3年かかってマスターするところを3か月でマスターするほどでした。」とギターの先生は言いました。 ギターの先生は、ヒョンジュンを音楽学校に入学させてはどうか?と提案しましたが、父親は反対しました。
若い日のリダ
Tapi ,demi mewujudkan mimpinya di dunia musik, Hyun Joong secara diam-diam membentuk sebuah band,bekerja paruh waktu dan tampil di jalanan. Karena tetangga rumahnya tidak sengaja melihatnya mengantarkan pesanan ayam goreng, akhirnya keluarga Hyun Joong mengetahui kalau selama ini dia telah bekerja paruh waktu di sebuah restoran ayam goreng. Karena berpikir anaknya berusaha untuk hidup mandiri, awalnya kedua orang tua Hyun Joong tidak melarangnya untuk bekerja. Tapi semakin lama,nilai sekolah Hyun JoonG menurun, yang membuat ayahnya marah besar, Aku ingin menuruti keinginan orang tuaku melanjutkan sekolah,tapi aku juga ingin mengambil keputusan sendiri untuk masa depanku, ungkap Hyun Joong .Akhirnya setelah masuk SMA selama setahun, Hyun JOONG memutuskan untuk berhenti sekolah.  Tentu saja ,hal ini membuat ayahnya yang sejak awal menentang impiannya tersebut marah.   ”Berhenti sekolah adalah pilihanmu sendiri, jadi kamu harus bertanggung jawab dengan keoutusanmu sendiri," ungkap sang ayah. Sejak itu HyunJoong tidak lagi mendapatkan apa yang dia inginkan dari orang tuanya. Hyun Joong hanya diberikan uang saku sebesar 10.000 won atau seratus rubu rupiah setiap bulannya. Saat krisis keuangan ASEAN, bisnis keluarga Hyun Joong punterkena imbasnya. Mereka pun mulai membuka bisnis fashion di daerah Dongdaemun,dimana mereka harus bekerja hingga pukul sebelas malam tiap harinya.
音楽での道を実現するため、ヒョンジュンはひそかにバンドを結成し、アルバイトも始めました。近所の人が ヒョンジュンがフライドチキンの店でアルバイトをしてるのを偶然に見かけて、家族にアルバイトしていることが知れました。彼は息子が独立して生きようとしていると考えているため、ヒョンジュンの両親は当初彼が働くことを禁じなかった。しかしアルバイトが長く続くことで学校の成績が下がり、父親は激怒しました。
「両親は学校に通い進学することを望んでいましたが、僕は自分の将来は自身で決めたいと思います。」とヒョンジュンは言いました。 ヒョンジュンは高校に入学していたが中退を決意した。 当初より彼の夢に反対していた父親は激怒しました。「學校をやめるのはおまえ自身が決めたことならば、ならば、お前は自分自身の行動に責任を果たさねばならない。」と父は言いました。以来、ヒョンジュンは両親からの生活援助は受けられない。ヒョンジュンは毎月1万ウオンと わずかなお小遣いいだけで生きねばならなくなりました。
当時、アセアンの金融危機で、韓国も影響を受け、ヒョンジュンの家も例外ではなかった。ヒョンジュンの両親は東大門近くの市場で洋服店を経営していて夜11時過ぎまで働いていた。
Sebelum pulang kerumah,ibu Hyun Joong yang mengkhawatirkan anaknya, secara diam-diam ke restoran TGI tempat Hyun Joong bekerja dan memperhatikannyadaru kejauhan.
ヒョンジュンのお母さんはヒョンジュンを心配し、ひそかにヒョンジュンが働いているTGIレストランに行っては遠くから彼を見ていました。
Ibunya selalu menunggu kepulangan Hyun Joong ke rumah dari balik jedela. Dan suatu hari saat musim dingin, ibunya mendapati Hyun JOONG dengan susah payah berjalan di tumpukan salju pukul satu pagi untuk pulang ke rumah.  Melihat hal tersebut tentu saja,ibunya tidak bisa menahan rasa tangis melihat penderitaan yang dialami anaknya itu.  Tapi karena tidak ingin membuat Hyun Joong mengerti kesedihannya,ibunya selalu mematikan lampu dan berpura-pura seakan seluruh keluarganya telah tertidur saat dia kembali ke rumah.
お母さんはヒョンジュンの帰りを 毎晩寝ないで待っていました。ある寒い冬の夜中一時過ぎに、お母さんは  大きな荷物を重そうに運ぼうと苦労してる姿のヒョンジュンを見かけました。息子が苦労してる姿を見てお母さんは涙を流しました。お母さんは見ていないふりをし涙を流していることもヒョンジュンに知らせないようにしました。ヒョンジュンが帰ってくる時間いなると、家の電気を消し、寝ているふりを続けていました。

この話もあまりに有名なお話です。
一人の母親として、当時のお母さまのお気持ち、当時から20年近い月日がたっていても、今、改めて読むと、涙出ます。。
お父様もご立派やなって思います。なかなかそこまでできるお人はいません。どれほどつらい決断だったことでしょう。その心の中に愛がつまっているからこそ、世間の厳しさをリダに身をもって教えたんでしょう。お父様もきっと心で涙しておられたことでしょう。
そしてお兄様も、、。リダを心配するご両親を思い、弟を思い、心を痛めておられたことでしょう。
キム・ヒョンジュン 完全密着ドキュメント 24時 ~K-POPスター 世界を魅了する~ [DVD]この番組にお母さまが出演され、当時の話をなさってました。
今も昔もずっと深い愛情でリダを包んでる優しい雰囲気のお母さまでした。

親というんは、ずっとずっと心配する生き物やなって思います。
子供のことになったら、常に心配します。健康でいてほしい、心も元気でいてほしい、常に 子を思います。
子供が幸せでいてくれることが何よりの幸せであると、しみじみ思いました。
そんな温かいご両親の愛をリダもよくわかっています。デビューして初めてのお給料でご両親いプレゼントし、以来、ずっと親孝行しています。照れ屋さんで多くは語れないけれど、ご両親の為にいろいろなプレゼントを続けているリダも大好きです。
リダギター
リダ、あなたの選んだ道でこれからも輝いてください。
マカオでギターを弾くジフソンベ
リダアネモネ8
素敵なギター演奏も時に聞かせてください。

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